社会は頑張って異性愛者を育んでいる——同性愛は先天的か後天的かの議論を超えて
この記事で語っているのは、「自然な性的欲望」とは何か、科学の視点と社会構築主義の視点、異性愛の発生原因、正しい欲望と正しくない欲望などです。
Wezzyがなくなってそろそろ1年になります。
私のことをWezzyの記事で知ってくれた人や、当時私がWezzyで書いたものをたくさん読んでくれてた人もいると思います。
閉鎖時に担当編集者がくれたアーカイブを読んでいて「これがもう見れないのはもったいないなあ」と思ったので、数週間かけて少しずつレターでお届けしています。
前回は『ダイバーシティは「取り戻す」もの——差別の歴史の中で生み出された”性的指向”と”性的嗜好”の違い』という記事をお送りしました。
今回は同性愛の先天説・後天説についての記事です。
「いいじゃん」と思ったらお友達やお知り合いにおすすめください。
「いつ自分が〇〇だって気づいたの?」「いつ目覚めたの?」
LGBT やクィアな私たちはよくこの無邪気な質問を受けます。〇〇には「レズビアン」「バイ」「同性愛者」「そっち」「オネエ」「ゲイ」など色々なものが入りますが、その都度私たちのほとんどは答えに窮します。なぜなら、ほとんどの場合私たちは気がついたらなっていた以外の答えを持っていないからです。
だから私たちは時に、答える代わりに質問で返すことがあります。
「じゃあ、あなたはいつ自分が異性愛者/ストレートだと気づいたの?」と。
白黒写真。黒い背景に、人間の2本の指のアップ。指にはそれぞれ顔が書いてあり、くっついて仲良さそうにしている。
こう問い返された異性愛者は、どのように反応するのでしょうか。「そうか、自分が気がついたら異性愛者だったように、この人も気がついたらそうだったんだな」と思うかもしれません。もしくは「なぜそんなことを聞かれなくてはいけないんだ、異性愛者になるのは当たり前じゃないか。何か目覚めるきっかけや気づくきっかけがなかったら普通は異性愛者なんだよ」と憤るかもしれません。
一見、この二つの反応は全く異なります。前者は、同性愛や両性愛が異性愛と同じように自然なものなのかもしれないという気づきです。一方後者は、異性愛は自然だが同性愛や両性愛は不自然なものであるという考え方です。
当然私たちは、前者の反応を期待しています。
「なんだ、あなたたちも同じ自然な性的欲望の持ち主だったんだね」
「そうなんだよ、あなたたちと何も変わらない対等な人間なんだ」
一件落着。めでたしめでたし。
……でしょうか。何かひとつだけ、全く問われていないものがありはしないでしょうか。
そう、ここでは「異性愛は自然だ」という仮説があたかも当然の前提のように全員に信じ込まれています。しかしそれは本当でしょうか。そもそも私たちは、社会全体でかなり頑張って異性愛者の育成に励んでいるとは言えないでしょうか。
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- ■同性愛の発生原因をめぐる議論 〜科学の立場から〜
- ■「あいつらとは違ううちら」の危うい境界線 〜社会構築主義の立場から〜
- ■異性愛に「発生原因」はあるか?
- ■私たちは異性愛者を育成している
- ■先天的か後天的かを越えて 〜正しそうな欲望から疑え〜
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