私は家族ファーストだけど「日本人ファースト」じゃありません
うちらにはうちらの生活があって、大事な人たちがいて、その延長線上で社会運動に携わってるんだ。保守派に「家族的価値観」を独占されている今の状況を変えて、私たちの思う多様な「家族」の価値観を打ち出していこうぜ。
瀬戸マサキ
2025.08.01
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テキスト版
世の中は本当にクソだけれど、それでも変わらず私たちには明日がやってきちゃうし、たぶん明後日もやってきちゃうし、それらは良くも悪くも今日の続きで、今日が結構クソだったら、明日も明後日もそこそこクソである。一方で、今日が良ければ明日も良い日になるかと言ったら、そういうわけでもないのが悔しい。
私たちの一日は、日本以外の民族的ルーツを持っていたり、障害があったり、クィアであったり、女であったり、そういうことを理由に、一瞬でクソな日に転じてしまう。
心無い言葉、誤解や偏見、デマ。そういったものが、ネット上でも日常生活でも、テレビでも、溢れている。それらを声に出す人々は想像もしないのだろう。自分の言葉が私たちの耳に入った時、それは川に投げ込まれた石のように、私たちの心の底に沈殿した自己否定の泥を一瞬で巻き上げ、上澄みまで一気に泥水にしてしまうことを。私たちが泥水の心を抱えたままその日を終え、次の日も、たぶんその次の日も、少しずつ川底に沈んでゆく澱みを刺激しないように気をつけながら過ごすことを。
先日、参議院選挙があった。