「MISIA、かっけー!」だけでいいのか——紅白に突如現れたレインボーに感じた興奮と戸惑い
この記事で語っているのは、レインボーフラッグが象徴するもの、マイノリティと同調圧力、ナショナリズムに利用される性の多様性、原則論の大切さなどです。
Wezzyがなくなってそろそろ1年になります。
私のことをWezzyの記事で知ってくれた人や、当時私がWezzyで書いたものをたくさん読んでくれてた人もいると思います。
閉鎖時に担当編集者がくれたアーカイブを読んでいて「これがもう見れないのはもったいないなあ」と思ったので、数週間かけて少しずつレターでお届けしてきました。今回はその最終回です。
前回は『社会は頑張って異性愛者を育んでいる——同性愛は先天的か後天的かの議論を超えて』という記事をお送りしました。
この最終回では、当時紅白歌合戦に出演したMISIAのパフォーマンスついて書いています。
「いいじゃん」と思ったらお友達やお知り合いにおすすめください。
2019年の紅白歌合戦、私はその日仕事で朝まで帰らず 、すべて終わってスマホ片手にベッドでまどろんでいるときにMISIAのことを知った。
画面に映っていたのは、ギラギラと光るレインボー フラッグと、これまたギラギラときらめく衣装のドラァグクイーンたち、そしてゲイカルチャーで生まれたハウスというジャンルのアレンジで、これでもかというくらいに「あなたがすべて」と張り上げるMISIAだった。
青っぽい背景の中、暖色のスポットライトを浴びてマイクに向かうMISIA。衣装は大きな白いバンダナと、白いシャラシャラのついたタンクトップのような服。髪の毛は編み込みになっている。後ろにトロンボーン奏者の姿が2名見える。
え、やば、すごいじゃん。何これ。え、しかもドラァグクイーンってマーガレットさんもいるの? やば。かっこよ。ほかの出演者にもレインボー フラッグ振らせてんじゃん、おもしろ。星野源とPerfumeはノリノリで、ISSA目が死んでる(笑)。 MISIAめっちゃ声裏返るじゃん、どした。力入ってんなー。
現実感がなかった。単純に嬉しいとかウザいとかのべっとりした感情じゃなくて、「やるじゃん」って。紅白の場にこれを存在させたなんて、やるじゃんって。
別に紅白が好きなわけじゃない。でもやっぱ紅白は大舞台だと思うし、性別二元論によるチーム分けも萎えるけど、紅組とか白組とか気にしてる人なんてこれまで誰も周囲にいなかった。今年流行った曲がたくさん聞けて、共通の話題になりやすいってのが、少なくとも私の世代にとっての「紅白」だと思う。
そんな、「みんな見てる」紅白で、MISIAのこれはやばいて。
「あんたもこんなふうに、悩める若者みたいな顔をせずとも、ニカっと笑ってドカーンて弾ける姿でお茶の間に入り込んでいいんよ」って言われた気がして、そんなことをやっちゃったMISIA、やるじゃんって。何年もかけて少しずつとかでもなく、しみったれた説教もせず 、ただバーンってドカーンってフーってイエーイって突然やっちゃうの、すごいじゃーん。
寝る前に、ツイッターにこんなふうに感想を書いた。
Came home from work to find that MISIA was in Kohaku (an NHK end-of-the-year music program) with drag queens and rainbow flags all over the place. I could shout “capitalism” but that can wait. Let me spend the night feeling validated for a moment.(仕事から帰ってきて、MISIAがドラァグクイーンたちとレインボー フラッグだらけのステージを紅白でやったのを知った。「資本主義だ」と叫ぶことはできるけど、それはあとでもいいやね。今夜はとりあえず 、一瞬だけでも肯定されたような気持ちで寝かせて。)
■レインボーフラッグが「奪われた」?
眠りから覚めて、TwitterでMISIAと検索すると、MISIAを絶賛する声や、勇気づけられたという声がたくさんあった。
一方私のタイムラインでは、レインボー フラッグが大手メディアによって奪われたと感じる人の声が上がっていた。今回の紅白はオリンピックや新元号など国家的なテーマがたくさん散りばめられていて、その流れの中でレインボーが使われることに、「多様性」の名のもとに取り込まれる危険性が感じられる、といった話だったように思う。
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- ■レインボーとの距離感
- ■マイノリティと同調圧力
- ■多様な「国民」として呼びかけられたLGBTQ+
- ■悪いものは悪い、話はそこからだ
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