f/q 交換日記(2026/2/28・瀬戸マサキ)
この日記は、何らかのクィア性を生きている四名の書き手が各自のニュースレターを横断しながら書き進めていく交換日記企画です。
文筆家の小沼理《おぬま・おさむ》さん、アーティストの近藤銀河《こんどう・ぎんが》さん、批評家の水上文《みずかみ・あや》さん、そして私瀬戸というメンバーでお送りしています。

みんな久しぶり。すごく間があいちゃってごめん。この数ヶ月、たくさんいろんな生活の変化があって、全然まとまった時間が取れなくてさ。忙しさはまだあまり変わらないんだけど、少しずつ新しい生活リズムに慣れてきて、ようやくゆっくり座って交換日記が書けるよ。
具体的なことは非公開なんだけど、ざっくり言うと、また飲食店を始めました。生活してる埼玉の小さな街から電車で約1時間半かけて、週5日通ってます。昔やってたダイニングバーとは違ってランチもやってるので、朝は8時台に出て夜は23時くらいに帰る日々……。
実際今日もそんな日で、この文章を書いてる間にもすでに4回は寝落ちしかけている。
2026年になって、みんなどんな日々を過ごしてますか。選挙結果も散々だったし、スマホを開けば海の向こうからもトランス差別や移民排斥、そしてそれらに密接にからまった独裁の様子が毎日のように目に入ってくる。みんなもそうだけど、うちらの子の交換日記を読んでくれている人たちもかなりしんどい日々を送ってるんじゃないかと思います。寒いしね。ほんと嫌だね。
最近は書くこと、発信することについてよく考えていて、「何かを語ったり論じたりすることって、別にたいして何の意味もないんじゃないの?」みたいなモードに入ってしまっています。この心理的位置に至るまでには色々あったんだけど、そのもろもろも含めて全部AIに投げて相談してみたら、「書くことへの情熱がまだゼロじゃないなら、これからは説明や説得、論証ではなく記述、描写のために書いてみたら?」と提案されました。
なるほどね、と思って、それから毎日しょっちゅう「自分はどんなことを記述、描写したいんだろう」と考えています。
今ふと、「あれ、水上さんも『書くこと』について書いてたな」と振り返って読んでみたら、何とこんなドンピシャなことが書いてありました。
言葉を研ぎ澄ませることは本当に重要なんだろうか? 研ぎ澄ませて、細やかな違いや共通点も含めて書き記し意思疎通を図ることは、本当に何かの役に立ってるんだろうか?
そういえばこの交換日記で私が最初に書いたのは、こんなことでした。
実はわたし、
実は私、日記というものが一番苦手なのです。読むのは好きなんですが、書くのがどうしてもうまくいかない。何か主張というか、結論めいたことを書かないといけないような気がしてしまうのです。
説明・説得から記述描写へ。
それはもしかしたら、日記が書けるようになることを意味するのかもしれません。わかんないけど。
そこでやはり立ち止まり考えてしまうのは、何を記述・描写したいんだろう、ということ。そしてそれは果たして文章という形式なんだろうか。文章だとして、それは日記なのかエッセイなのか、はたまたフィクションなのか。文章でなかったら、映像なのか、あるいは音楽なのか。
それとも——これは今思ったことだけど——全然思想とは無関係な場で、全く別の話をしながら思想を(語るのではなく)示す、行う、生きる、ということも選択肢に入れていいのかもしれない。それは例えば、いますでにやってることで言えば、飲食店の経営においてかもしれないし、英語教育においてかもしれない。
自分が残りの人生の日々を何をして過ごしたいのか、で決めてもいいのかもしれない。私は、何をしている時が一番楽しいんだろう。
少し寒いな。足元のヒーターをつけた。友成空がパソコンのスピーカーから小さく流れている。明日は彼氏とその友人とでカラオケに行って、夜は去年高円寺で知り合ってすぐ仲良くなったRの主催するDJイベントに顔を出す予定です。予定は昼あたりからだから、いつもより少し多めに寝られそう。
向こう一週間は、「楽しいに敏感」ウィークにしようと思う。一週間後に何か見えてたらいいな。見えてなかったら、一週間延長しよう。
もう寝るね。おやすみ。
追伸:水上さん、銀河さん。Substackの言語設定に日本語が追加されたようで、読者が見る “Share” とか “Comments” とか “Subscribe“ とかのUIが日本語に変更できるみたいよ。
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