「不快な思い」とは何か——日本マクドナルドの対応から考えるメディアと差別の関係
Wezzyがなくなってそろそろ1年になります。
私のことをWezzyの記事で知ってくれた人や、当時私がWezzyで書いたものをたくさん読んでくれてた人もいると思います。
閉鎖時に担当編集者がくれたアーカイブを読んでいて「これがもう見れないのはもったいないなあ」と思ったので、これから数週間かけて少しずつレターでお届けしようと思います。
第一弾は、私がWezzyに初めて書いた記事です。
当時マクドナルドのCMが炎上していました。この記事では、いわゆる「不快な思い」という言い方の問題に加えて、メディアと差別の循環関係、「不快」という概念と同性愛嫌悪のつながり、セクハラを笑ってよいものとみなす文化の問題などについて話しました。
よかったらご覧ください。また、全体公開にしておくので、「いいじゃん」と思ったらお友達やお知り合いにおすすめください。
12月5日に、日本マクドナルドの公式Twitterで紹介されたキャンペーン動画が、三日という短期間で公開が取りやめとなった。

CMのスクリーンキャプチャ。5名が会議室のようなところにいて、真ん中に黒いシルクハットを被って黄色い派手なスーツを着ているダンディ坂野。右に安藤なつとカズレーザーがいる。ダンディ坂野に対して4名が責めるような構図になっており、3人は坂野に指を指している。テロップに「アウトー!」とある。
この動画は、登場する男性(怪盗ナゲッツ)があるゲームに負け、罰ゲームとして他の男性(カズレーザー)から頰にキスをされるというものだ。男性は後ろから別の登場人物(安藤なつ)に羽交い締めにされ、不快感を全面に表現しながら罰ゲームを受ける。それが同性愛者に対して差別的であるという指摘が多数 SNS に投稿され、日本マクドナルドは8日、「お客様にご不快な思いをさせ、深くお詫び申し上げます」というおきまりのフレーズを残し、動画を非公開にした。
これにて一件落着……なのだろうか?
あるコンテンツが差別的な要素を持っている、それに対して批判の声が集まる、そしてそのコンテンツが削除される……その後私たちに残るのは、いつだって「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」という言葉だけだ。差別に抗うマイノリティや支援者の多くが、この言葉の空虚さを身をもって知っている。
この空虚さを作り出しているのは、コンテンツが人の目に触れること自体を止めさせようとする一部の抗議者の思惑と、抗議の内容を吟味せず苦情処理の一環としてしか対応しないコンテンツ責任者の事なかれ主義だ。
ある日突然批判騒動が起き、コンテンツの削除で事態が収束する。そして昨日までと何ら変わらない風景が戻って来る。差別は温存され、誰も何も学ばずに、また新しいコンテンツが作られる。次はどんなお客様が“ご不快な思い”をさせられるだろうか?
■「不快」の内実
日本マクドナルドは、今回の動画に関し「悪ふざけの動画で不快」など数件の苦情を受け、非公開とするに至ったという。一方、このブログ記事によれば、フランスのマクドナルドが2010年に放送したCMは同性愛者を客として歓迎するというメッセージが込められた素晴らしいものだったが、宗教などを理由にアメリカ合衆国内での放送はしないと幹部が断言している。
マクドナルドは、どのようなコンテンツを公開するかに関して、グループとしての統一的なポリシーを持ってはいないようだ。
差別や偏見に反対し、マイノリティに寄り添うような動画も、苦情が予測されれば公開しない。社会に存在する差別に便乗し、その差別を再生産、強化するような内容の動画も、苦情が予測されなければ公開する。結果的に今回の日本マクドナルドのCMには、苦情が来た。だから非公開にした。それだけのことだ。
苦情の内容も、日本マクドナルドは「悪ふざけの動画で不快」という例を挙げている。しかし冷静に読んでみれば、この苦情が同性愛を「悪ふざけ」から守ろうとする人の声なのか、それとも同性愛を「不快」な「悪ふざけ」だと思っている人の声なのか、判別することはできない。日本マクドナルドを動かした苦情の多くは、同性同士のキスそれ自体を不快だと思う人の声だった可能性だってあるのだ。
そもそも多くの国で、法的に定められていないにしろ一般的な認識として、同性同士が公の場でキスをしたり手を繋いだり、抱き合ったりすることは、騒音や悪臭などの迷惑行為と同類の「不快なもの」として捉えられて来た歴史がある。公園で抱き合ってキスをする異性カップルの横で同じことをしている同性カップルが通報される、なんていうことは珍しいことではない。「不快」という言葉は、同性愛者差別と深く長い関係があるのだ。
しかしそんな歴史も、苦情の中身も、あるいは今回の動画が何故問題なのかも、マクドナルドにとってはどうでもいいのだろう。マクドナルドだけではない。「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」と表面上の謝罪をして収束を図るコンテンツ責任者は皆、そのように邪推されても仕方がない。
■マクドナルド動画の問題点
では、マクドナルドが理解すべき動画の問題点とは何だろうか。
端的に言えば、それは「普通の人は異性愛者で、同性との性的接触を必ず嫌がるものだ。一方で普通じゃない同性愛者・両性愛者は同性との性的接触を必ず好み、相手の同意なしに接触を試みるので、厄介な存在だ」という偏見の上塗り、強化である。
キスをされた怪盗ナゲッツを見ると、その不快感はしっかりと明確に表現されており、見事に偏見に沿う形で「罰ゲーム」が成立している。
(しかし実際同性との性的接触を楽しむ異性愛者が少なくないことを、多くの同性愛者や両性愛者は知っている。さらに医学や社会調査の分野では、同性愛者と両性愛者に注目するだけではHIV対策に限界があったため、1990年代以降「MSM(men who have sex with men・男性とセックスする男性」という、行為に着目したカテゴリーが用いられているほどだ。)
一方、キスをする側としては両性愛者であることを公言しているカズレーザーが起用され、動画では喜んでキスをしているように描かれている。
つまりここでの「罰」とは単に同性間の性的接触ではなく、性的な欲望を向けられること、つまり互いに嫌がりながらのキスではなく、喜んでいる相手にキスされるという性的搾取をも含めての「罰」が表現されているのだ。そしてそれを怪盗ナゲッツがあからさまに嫌悪して見せることで、同性から同性への欲望は「厄介」なものとして表現される。
こうして既に世の中にある偏見を前提とし、それに便乗し、結果的に元の偏見を強化する——そういう効果を持つ動画だから、批判されたのだ。
■もう一つの問題点
そもそも怪盗ナゲッツもカズレーザー演じるキャラも別に異性愛者でも同性愛者でもなく、単にカズレーザーは怪盗ナゲッツにキスをしたいと思う人で、怪盗ナゲッツはカズレーザーにキスされたくないと思っている人なだけだ、という無理のある弁解を仮に受け入れたとしよう。
あるいは、怪盗ナゲッツは同性愛者だが、カズレーザーのことは全然タイプではなく、キスなんてしたくないと思っている、という謎の裏設定があったとして、脱力はすれどそれを受け入れたとしよう。
それでも、性別を問わず嫌がる相手に無理やりキスをするという明確なセクハラ、性暴力を問題視するどころか笑い事として扱っている時点で、既にこの動画は大きな問題を抱えたコンテンツである。
実際、女性がセクハラについて抗議したとき、よくある反応は「ノリ悪いな」というものである。その場の空気を壊さないために笑って受け流す――そんな処世術を強いられている女性は多く、この動画はそうした「ノリ」優先の社会的圧力を前提とし、それに便乗、また強化している。
■差別のシステムとメディアの責任
「前提」「便乗」そして「強化」という言葉を使ってきたが、これは差別が個人間の嫌がらせなどとは異なり、社会制度や思想に深く侵食しているものだからである。
差別とは、何もないところに生まれるわけではない。「こういう人たちは、こう扱っても良い」という認識があり、それにのっとって人々がそれぞれ行動し、それが日常生活やメディアを通して私たちの目に入り、私たちはさらに認識を強め、それに沿った行動をしてしまう。それがまた生活やメディアなどを通して……と、循環するシステムを差別と呼ぶ。
メディアのコンテンツが度々批判を浴びるのは、単にそのコンテンツ自体が不快であるとか、それを見て傷つく人がいるとか、そういう理由ではない。メディアが差別のシステムの重要な役割を担っているからなのだ。
メディアがシステムに便乗し強化するか、あるいは循環させることを拒みシステムに抵抗するか。いずれにしてもメディアのコンテンツに関わる人間には、非常に大きな責任がのしかかる。
10人中9人が「不快だ」と思うコンテンツでも、世に出すべきものもあるのではないか? 10人中9人が「愉快だ」と思うコンテンツでも、公開してはいけないものがあるのではないか? ――そういう葛藤を、自問を、責任感を、今のメディアはきちんと引き受けているだろうか。
いやむしろ、進んで「お客様」の快・不快に左右されることで、その責任を「お客様」に転嫁して済ませているというのが実態だろう。こうして明日もまた、昨日までと何ら変わらない風景が戻って来るのだ。
(2016年12月17日にウェブ媒体『Wezzy』に掲載された文章です。現在Wezzyは閉鎖されています。)
次回お送りする記事は『LGBTの次はSOGI?——看板を入れかえるだけでは失われてしまうSOGIの本当の意味と意義』です。そちらもお楽しみに!
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