聴者の私が手話を学び始めて知ったこと
手話を勉強している。
そう言うとなぜか「偉いね」などと言われることがあるが、当の私はちっとも偉くなどなくて、単に言語習得のプロセスを楽しんでいるだけだ。
言語の習得は面白い。私は十七歳で英語圏に移り、しばらくの間英語での生活を送ったが、最初の一年こそ苦労したものの、二年目からはどんどん英語の運用能力が上がった。その過程で、何度「なるほど! 英語ではこういう発想をするんだね!」と驚いたことか。後に大学で「言語が現実を構成、構築する」という考え方——社会構築主義とか、象徴界とか、そういう話——に触れた時に一切の違和感も感じなかったのは、実体験として、日本語で話す時と英語で話す時では、自分の考え方や物事の捉え方、注目する観点などが変化する、ということを知っていたからだと思う。
端的に言えば、その体験は、自らの拠って立ってきた枠組み——あるいは「常識」と言い換えてもいいかもしれない——が瓦解するというものだった。他言語を学ぶことには様々な意味が、そして意義があるが、もし私がひとつだけ「なぜ他言語を学ぶと良いのか」と問われれば、きっと「自分の常識に疑いの眼差しを向けることができるようになるからだ」と答えるだろう。ただし、その領域に達するには相当なレベルで他言語を運用できるようにならねばならないけれども。
手話も同じである。なぜなら、手話もまた他言語だからだ。
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