ミニスカートの舞台裏
Xで、@ikychanという人が2025年4月6日に、次のようなトランスフォビックな投稿をしていた。
素朴な疑問なんだけど、「女になりたい男」で年相応《としそうおう》の『おばさん』の格好してるやついねーよな / セーラー服やらミニスカやら、「若い女の格好」ばっか。/ 女として生きたいんじゃなくて「若い女の旨味」が欲しいだけの、かえって『強烈な雄性《おすせい》』を感じる。
がっくりきてしまった。何にがっくりきたって、この「寄り添わなさ」である。何かの現象を見て、きっとこうに違いないと見定めて、何も学ぼうとすることなく、似たようなことを思っている人に向けて発信し、溜飲(りゅういん)を下げ合う。
先日別のところでもマイノリティについて「はなはだ疑問だ」みたいなことを書いている人がいて、そこに「本当に疑問なんだったら調べろよ」「調べればすぐにデマだってわかるぞ」というコメントがついていた。
つまり、こういう手合いの「素朴な疑問」なんてものは疑問でなどさらさらなくて、実際は似たようなことを思っている人に向けた「ねえねえ、これってこうじゃない?(笑)」に過ぎない。ぱっと思いついただけの仮説を開陳し、たくさんのイイネと賛同コメントを得られれば、それが真実であるか否かなど心の底からどうでもいいのだろう。愚かしく、暴力的だ。
冒頭の@ikychanという人の疑問は、もし真剣にそれと向き合うならば、本来もっと複雑に考えなければいけないものだ。
まず正確に書き換えよう。これは「トランス女性が若い人向けのファッションを選びがちに見える」という現象である。つまり、第一にそもそも、真実なのかどうか確定していない。こういう手合いの人々が想定するトランス女性の姿というのはおそらくまあ確実に雑なくくりであろうから、厳密に「トランス女性」の話ができているとは思えない。男性として生活しつつ女性装を楽しんでいる人なんかもごちゃ混ぜにしているだろう。
その上で、ではもしその観察が本当に実態と合致していたとして——つまり厳密にトランス女性の話として、若い人向けのファッションを選びがちなのだとしたら——私たちが本来考えるべきことはたくさんある。