オワらないほうのコン

オワコンはオワコンらしく去るのが一番格好がつくのだろうけれど、でも、そもそも自分はちゃんと書ききっただろうか、もう書き残したことはないと言えるだろうか、と問うと、全然書ききってないなあと思う。
瀬戸マサキ 2025.06.21
誰でも

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オワらないほうのコン

                                      瀬戸 マサキ

 うんと昔、十八の頃にたしかブログを書き始めた。それからずっとオンラインで物を書いている。依頼があれば紙媒体にも原稿を寄せるし、オフラインのイベントに呼ばれれば登壇してきたけれど、どこか自分の中に「オンラインで発信するに越したことはない」という意識がある。

 それはたとえば、本が買えない経済状況の人にも読んでもらえるから。視覚障害のある人にも読み上げソフトで聞いてもらえるから。わざわざ手間をかけてまで情報を得たいわけではない人にも、気軽に読み始めてもらえるから。そこには、かつて貪り読んだフェミニズムやクィア関連のホームページ、ブログへの感謝の気持ちもある。

「自分だってネットで無料の情報をたくさん読ませてもらったんだから、書き手になった自分もネットで多くの人が読めるところに書くべきだ」みたいな気持ちだ。

 だからつい、書いたらすぐにネットにアップしてしまう。知り合いに「あれをブログに載せる前に教えてくれればうちの媒体に掲載して原稿料払えたのに」と言われても、その時は「そうかあ、そうやってちゃんと売り込んでるライターもいるらしいもんねえ、自分も少しはやらなきゃ」なんて思って、でもすぐ忘れてしまう。

 SNSについても、長いことずっと使い方を考えあぐねていた。つまり、どのプラットフォームで、どういう内容を、どんな形で発信するのが最適なんだろう。どうすれば自分の言葉を必要としているかもしれない人に届けられるんだろう、と。

 例えば最近だと、英語圏ではXから Bluesky への大移動があった。しかしだからと言ってXから本当に人が離れたかと言えばそうではない。意識を高く持っている政治的立場の明確な人たちはブルースカイも使っているだろうけれど、そうでもない多くのクィア当事者はXやインスタ、TikTok にいる(上の方の年齢層に目を向ければ、Facebook がいまだにトップかもしれない)。

 どこに書こうかな、どこで人と繋がろうかな、チャンネルを減らしてフォーカスするならどこを選ぶのがいいのかな、などといったことを考え出すと、考えなきゃならない要素がありすぎて結局ぐるぐるして終わる。その繰り返しだった。実は今日も「英語で書くSNS、ブルースカイだけにしようかなあ」みたいなことを考えていた。

 でもふと、思ったのだ。

 これまで何度言われただろう。「マサキさんの文章、うちの大学の授業で使わせてもらってます」とか、「今度やる読書会でマサキさんのブログの記事を読むことになったんですよ」とか、「〇〇っていう媒体でマサキさんの動画が紹介されてて、それでマサキさんを知りました」とか。

 振り返ると、自分が書いた言葉は、自分の知らないところでそうやって広まっていた。てっきり自分でみずから人に直接言葉を届けてるつもりでいたけど、実際はそんなことはなくて、たくさんの人が、もっとたくさんの人に自分の言葉を届けてくれていたのだった。それに感謝こそすれ、自分が直接どうやって届けようかなんてことばかり考えていたのは、少し傲慢なことだったなと思った。

 実はここ数ヶ月「自分はいわゆる『オワコン』なんだろうか」と思う瞬間が何度かあった(オワコンというのは「終わったコンテンツ」の略で、旬を過ぎたとされる著名人などに向けて揶揄的に言われる言葉です)。知り合いの若いクィアな論者などがポッドキャストに呼ばれたり、イベントに登壇したり、本を出版したりなんてしているのを見ていると、そうかあ、クィアなことを語る人たちがちゃんと注目される時代になったんだな、という暖かな感慨と同時に、そういや最近めっきりそういう依頼が自分には来なくなったなあ、と少し寂しい気持ちもあったりする。

 オワコンはオワコンらしく去るのが一番格好がつくのだろうけれど、でも、そもそも自分はちゃんと書ききっただろうか、もう書き残したことはないと言えるだろうか、と問うと、全然書ききってないなあと思う。

 で、ね。思ったのだけれど、多分ね、「どこで何をどういうふうに」発信するか、どうやって(傲慢にも)直接届けるか、みたいなことばかり考えていたけれど、本来メインになるはずの言葉そのもの、つまりオワコンの「コン」の部分に、もっと目を向けるべきだったんだろうなと。

 誰に読まれるわけでもないかもしれないけど、書く。みたいなことが実はとても苦手で、今まで何度かトライしたけれど毎回笑ってしまうくらい必ず二日から三日坊主だった。知り合いの編集者に「とにかく日記でも、ひとことでも、毎日何か書いてみようよ」と言われて始めたブログでは「今日から日記を書こうと思います」という言葉がトップページで埃をかぶっている始末である。

 自分にとって書くとか、作るとか、そういう「コン」を生み出すプロセスは、もしかしたら単に「必要だからやっている作業」であって、本当にやりたいのは「人に届ける」なのかもしれない。「届ける」があって初めて、「書きたい」が生まれるのだ。

 と思い至って、今日、小さな決意をした。

「自分で届けるんじゃなくて、人に届けても〜らおっ」である。

 書いた言葉は、ニュースレターにそっと置いておく。幸いニュースレターには500人くらい登録者がいてくれているし、さらに、自分でも良いなと思える文章が集まったらまとめてZINEにしよう。そこに書かれた言葉を誰かが大事な言葉だと思ってくれたら、その人はきっと誰かにそれをシェアしてくれる。そっくりそのままシェアするのでなくても、たとえば記憶の片隅に置いておいてくれれば、その言葉がいつかその人の発する言葉に影響を与えるかもしれない。それだってシェアみたいなものである。

 それでいいんだと思ったら、ずいぶんと楽になった。そして、余計なことを考えずに済むようになったぶん、文章を書いたり、映像を作ったりということに、これからはもっとフォーカスしたい。

 もっと、やりたいことをやるのだ。書きたいことを書くのだ。それが全然金にならなくても。作り続けるのだ。

 作り続けるのだ、コンを。

***

追伸

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これまでLGBTQ+で ろう の当事者の声が出版されたのは、まだ一冊だけとのことです。クラファンが成功すればこの本が二冊目になります。

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