わたしの〈クィア〉とあなたの〈クィア〉は違う:グローバルでないドメスティックなクィアの不可能性

この文章は、2011年度上智大学グローバル・スタディーズ研究科ワークショップ・シンポジウムシリーズ「日本とJapanとクィアとqueer——日本におけるクィア・スタディーズの多様性と『グローバル』クィアの考察」(2011年12月17日)での発表原稿に若干表現上の修正をしたものです。
瀬戸マサキ 2022.09.05
サポートメンバー限定

要旨

「グローバル・クィア」あるいは「グローバル・クィア・スタディーズ」が語られるとき、国民国家や地域、宗教の軸における「クィア」概念あるいは「LGBT」概念の翻訳可能性が取り沙汰されるのは当然のことである。しかし「グローバル」と対置されるであろう「ドメスティック」あるいは「ローカル」な「クィア」は、そもそも各国民国家・地域・宗教内部で確立された概念なのかを問うことも必要だろう。

本発表では、クィア・スタディーズの中心的地域である米国における階級・人種・宗教に注目し、そもそも「クィア」概念あるいは「LGBT」概念が必ずしも米国全体に流通していないことを示し、グローバライゼーションとクィアの議論にありがちな「米国(あるいは欧米)」対「日本」という枠組みを批判する。また同時に、「翻訳可能性」が言語や国民国家だけではなく階級・人種・地域・宗教をまたいだ問題であることを考察し、ワークショップでの論点の1つとして提案したい。

発表内容

「グローバル・クィア」という言葉が とても うさんくさいものである ということは、会場にいらっしゃる みなさんは すでに ごぞんじかとおもいます。なにをもって「グローバル」であるといえるのか。「こまかな ちがいはあれど、ここのこれも、あそこのあれも、クィアだよね」といえるのであれば、そこに共通の「クィア」性とは、つまり「クィア的」であると みとめられる条件とはなにか。そして、そこで すてられる「こまかな ちがい」がうまれる理由とは具体的になんなのか。言語なのか、国ごとの文化なのか、あるいは民族の文化なのか。あるいは、階級や大学教育へのアクセスの どあい なのか。そして、そういったことを理由にしてうまれているとされうる「こまかな ちがい」には、どのようなものが ふくまれるのか。「グローバル・クィア」という言葉からは、たくさんの疑問点が うかびあがってきます。

動詞としての「クィアする」

「クィア」という言葉は、もともとが「変である」「奇抜である」という形容詞として存在しました。そのあと動詞の「台なしにする」「ダメにする」「破滅させる」という意味で つかわれるようにもなり、そして、20世紀になって、形容詞として「ホモセクシュアルの」という意味で つかわれるようになりました。そのすぐあとに、名詞の「ホモセクシュアルの人」という意味で つかわれるようになりました。そのあとエイズパニックなどを とおして「クィア」という言葉の意味が変容していくことは ごぞんじかと おもいます。ただ、わたしが注目したいのは、名詞の「クィア」から動詞の「クィア」——つまり「クィアする」という表現——が うまれたのではなく、名詞の「クィア」より100年あまりまえに、すでに「台なしにする」という意味の動詞が つかわれていたということです。かんがえてみれば、現在「クィアによむ・クィアリーディング」などとよばれる よみかたは、よく、「作品を台なしにする」と批判されます。これにたいし、「台なしにして なにがわるい」「そもそもそこで台なしにされるのは、作品ではなく、異性愛を中心とし、男性を中心とし、ジェンダーのきまりごとを忠実に まもって よもうとする従来の姿勢なのではないか」というかんがえかたが、クィア・ポリティクス以降の文系学問のなかで すこしずつ信憑性をもって かたられるようになりました。もちろんこれは、実際にいろいろなひとが「よむ」という行為を とおしてやってきたことを、学問が あとおい しているわけです。この、動詞としての、あるいは なんらかのはたらきかけとしての「クィア」の議論は、「グローバル・クィア」という言葉が かたられるときに、簡単に ぬけおちてしまいます。名詞としての「グローバル な クィア」ではなく、動詞としての、「グローバル に クィア する」ということがどういうことなのか。すこし かんがえてみたいと おもいます。

この記事はサポートメンバー限定です

続きは、14520文字あります。

下記からメールアドレスを入力し、サポートメンバー登録することで読むことができます

登録する

すでに登録された方はこちら

読者限定
2023年9月1日(金) 十全に書く、ということ
読者限定
2023年8月31日(木) 大事なことを教えてくれた二人の移民
読者限定
2023年8月6日(日) そこからまた始めよう、と思っている。
誰でも
2023年6月12日(月) あなたがたは見分けがつかないから
誰でも
2023年5月28日(日) めまぐるしい
読者限定
2022年11月30日(水) うちらが死ぬ前に
読者限定
2022年11月29日(火) あぶなく引退するところでした
サポートメンバー限定
排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流「LGBT...