2023年8月6日(日) そこからまた始めよう、と思っている。
最近は考えることが億劫である。人それぞれではあろうけれど、私にとって考えることというのは言語化することにほぼ等しいように思う。逆に言うと、言語化する必要に駆られた時に、つまり誰かに自分の感じている感覚——それは差別的な何かへの怒りだったり、気づかずに犯した自らの過ちについての恥ずかしさだったり——を共有したい、あるいは共有しなければならない状況にある時に、初めて私はきちんとそれについて考えることができる。
私はライターなどと言っておきながら実のところ久しく文筆業から離れている。最後に文章が掲載されたのは2020年の『現代思想』で、それからもう3年が経とうとしている。講演やイベントでの登壇などの仕事は時折今でもやらせてもらっているが、そういった仕事はたいてい既にどこかで書いたこと——つまり既にきちんと考えて言語化してきたこと——をベースに語るものなので、当然そのイベントのテーマやオーディエンスの属性などに合わせて組み立て直しはするが、そもそも何か新しく考えたことを披露する場ではないとわきまえてもいるので、やはり、そういう組み立て直しに使う頭と、文章を書きながら感覚を言語化していくプロセスで使う頭とは、全然違うものだなあとこれまでの数年間で知ることとなった。