どうやらADHDのようなので、うまく生きていく方法を考えました
数ヶ月前から「もしかして」と思っていた。やしろあずきさんという方の投稿で「車を忘れた」「スケジュールを忘れる」というエピソードを読んで、こう呟いた。
私は診断されていないけれど、「帰りにスーパー寄ろう」って話しながら電車に乗って最寄駅で降りたら完全に忘れててまっすぐ帰ろうとしたり、車を市役所に置きっぱなしで1週間忘れてたこともあって、すごく共感した。ちなみに私もカレンダーやリマインダーフル活用してる。
ADHDの特徴を調べてみたら不注意型(ADD?)に当てはまるものがいくつもあった。あと昔からカクテルパーティー効果が働かないのでAPD(聴覚情報処理障害)なんだろうなとは思ってたんだけど、APDの人の半数がADHDやADDもあるというのを読んで、「あれちょっと私この系統の何かなのでは?」となってる。
カレンダーやリマインダーをフルに使えば生活は全然できるし、周りからも「あの人は自由な人だからね」みたいなキャラ扱いされてるので、そこまで大きな困りごとは無いんだけれどね。(車の件はさすがにビビったけど。車がないことに気づいてからもどこに置きっぱなしか思い出せなくて大変だった。)
注意散漫、過集中、不注意、忘れっぽい、という4つは完全に当てはまってるので、仕事の種類や環境が違ってたらどんなに自分で工夫をしたところで結構困ることはあったかもしれないな。
そこで書いた通り、これらの特性による困りごとはほとんど無かったんだけれども、その後、パートナーと同棲をしてから1年が過ぎたあたりでさらに顕在化が進んだ。具体的には、
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予定の時間に間に合わない
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間に合わなそうなのに別のことをし始めてしまう
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そもそも予定を忘れてる
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覚えていたとしても、1ヶ月後の予定を「1ヶ月後の予定」と思い込んでいるので、2週間経っても「1ヶ月後の予定」だと思い続けており、直前に焦る
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気になったことはすぐに調べないと気が済まない
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何かを調べてる最中に出てきた細かいことも気になってしまい、それら全てを調べ切るまでは重要なタスクすら後回し
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テレビを見ている時に話しかけられるなど、同時に複数の情報を処理できない
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1つの情報源(例えばポッドキャスト音声)に集中しようとしても別のことが気になって調べ始めるので、結局どちらの情報もろくに理解することができない
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カクテルパーティー効果が働かないので人混みやイベントでの会話が困難(去年ジョイポリスでスタッフさんに「何名様ですか」と聞かれ、全く聞き取れずにいたら何度目かで後ろにいたパートナーが代わりに答えてくれたんだが、どうやら最終的に "How many people?" とまで言われていたらしい)
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話してると言いたいことがどんどん出てきて早口になるし、話が長い
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物や人によくぶつかる
といった具合だ。ちなみに今これを書いているのも夜中の2時半である。書き始めたら止められないのだ。
これまで知らずにやってきた工夫
私はこれらの特性を「性格」だと思っていたので、ADHDはおろか、別に大した問題ではないとすら思っていた。けれど日々の生活において時々ちょっとした失敗があったりしたので、大学生くらいの頃から自分の性格を踏まえた工夫をいくつか実践してきた。
全ての予定とタスクをスケジュール帳(今はGoogleカレンダー)に入れる→ 例えば昼間に決まった「夜20時から〇〇くんとスプラ」とかも絶対に忘れちゃうのでカレンダーに入れる。
整理整頓は超最低限のルールだけ設ける→ 例えば「ズボンは全てクローゼットの床に蹴り入れるだけでOK」など。
「とりあえず入れておく」ボックスを用意→ 郵便物はもちろんのこと、もらったキーホルダーや、後でしまうことにしたUSBケーブル、壊れたリモコンなど「今は考えたくない」と思うものは全部ぶっこむ。
加えてスマホを使うようになってからは、
スマホのタイマーやスマートスピーカーをフル活用→ 洗濯機を回してても干すのを絶対に忘れるので「アレクサ、35分後に洗濯物って言って」……教えてる英会話レッスンの開始時間が15分後なのを忘れて調べ物とか始めちゃうので「アレクサ、13分後に英会話って言って」……友達に20分後に電話しようって誘われても絶対に忘れてコンロの掃除とか始めちゃうから「アレクサ、18分後に〇〇さんと電話って言って」……などなど。
こりゃもうADHDだな、と思った経緯
これらの工夫をしていても、私は全然自分が特殊な人だとは思っておらず、似たような人はたくさんいるし、みんなそれぞれ工夫してるんだろうくらいに思っていた。実家の家族も私のこれらの特性を「マサキはそういう性格だからね」と受け入れていたし、うまいこと対応してくれてきた。良いタイミングで家族の予定のリマインドをしてくれたりするのも、そういうことだろうと思う。
それに、思い返せばこれまで、実家の家族以外である程度の期間一緒に住んだことのある相手はアメリカ人とパキスタン人、そしてアメリカに住んでいた日本人だけだった。ADHDの特性のうちいくつかは文化によってその尖り具合が異なる。例えば「自分の好きなことを優先したい」という願望や「真面目な話においては多くの情報と自分の意見を詳しく伝えたい」という願望を持つこと、あとは待ち合わせに遅れるということなんかは——アメリカと日本にしか住んだことないのでその二者間の比較しかできないし両文化ともに一枚岩ではないのだが——アメリカより日本の方が周囲からの低評価につながりやすいように感じる。
そういう背景もあってか、私は自分がADHDである可能性になんて一度も思い至ったことがなかった。
しかし昨年私が一緒に住み始めた相手は、日本生まれ日本育ちで民族マジョリティだ。しかも、言動やファッション、ライフコースなどにおいてあまり目立たず周囲に溶け込むことを重視するタイプである。そんな彼が上に書いたような特性を持つ私と暮らすのだから、それはそれは大変理解に苦しんだだろう。
一方、私は私でこれがデフォルトの私だし、これまでそんなに自分が特殊だとも思っていなかったから、「どうして私のことをそんなに理解できないんだろう」と思ったり、「たまたま自分(彼)が予定とか全部覚えていられる人間だからって、みんなそうってわけじゃないのに」なんて思ったりしていた。
その結果、彼と時々ぶつかったりしながらも、私はもしかしてやっぱり私が変なのかな、と思うようになった。ちょうどその頃に、冒頭で紹介したやしろあずきさんの投稿を目にしたのだ。
それから数ヶ月後、何日か連続して私の「性格」がパートナーとの話題に上がったことがあった。もう1年以上一緒に暮らしているので彼も「理解できない!」というよりは「なんでなんだろうねえ」みたいなノリである。私も私でやしろさんの投稿が頭に残っていたから、改めてきちんとADHDについて調べてみた。その時の投稿がこれである。
完全に自分が不注意型のADHDに当てはまることについて最近ようやく腑に落ちたのですが、診断を受けたりした方がよいのでしょうか。
加えて、はなゆいさんという方の『ただのぽんこつ母さんだと思っていたら ADHDグレーでした。』という本も購入してみた。
とりあえずこの本を買ってみて読んでるんだけど、著者がやっている工夫の中にいくつも私がこれまでに自分で独自に考えてやってた「自分はこういう性格だから、こうしないとまずいんだよね」という工夫と同じものがあって、泣きそうになってる。「あるある」のオンパレード。
パートナーに「ADHDだと思う」と伝えると、最初はあまり理解してもらえなかったけれど、翌日には「こんなの見つけたよ」と、はなゆいさんの投稿を見せてきた。
二人して、「あぁもう、これはADHDだね」という結論に至った。
(2024/09/19 - 12:57 追記:疾患や障害の名前を気軽に名乗ることの弊害についてご指摘をいただきました。ADHDというのは診断名で、本来であれば医療機関を受診して診断をされて初めて「自分はADHDだ」となるものです。私は今回受診する動機に乏しく、今のところは診断を受ける必要はないと判断したので、厳密には「私はADHDです」とは言えない状況です。すでに診断を受けている方で、この記事によってADHDという言葉を奪われているような気持ちになった方もいるかもしれません。謝罪申し上げます。また、他の方々におかれましても、どうか「あてはまる特性があればADHDと名乗って問題ないんだ」とは思われませんようお願いします。)
同時処理型と継次処理型
人には同時処理型と継次処理型があるらしく、ほとんどの人は多少の偏りがありつつもどちらの能力もあるそうだ。yullyさんという方の投稿によると、
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同時処理が強いと、「情報をひとつの全体的なまとまりとしてとらえてから細部の位置付けを知りたがる。全体像が『見え』ない状態で細かい話を長々と聞かされることを苦痛に感じる。」
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継次処理が強いと、「細部を積み重ねて全体像を知るタイプ。時間軸に沿って順番に処理して考える。順序なしで複数の情報を同時に提示されると混乱しやすい。」
そしてADHDの人には、同時処理型の傾向が非常に強いとのことだった。
また、むいたんという方の投稿によると、
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定型発達の人(つまりADHDなど発達障害を持たない人)は「説明聞いた通りに、脳に回路が作られる。知らない情報があっても回路は流れる」
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ADHDの人は「脳に回路を構築する際、知らない情報があると回路が流れない。回路のパーツが全部ハマると急に回路が流れ出す」
例えば同時処理が強いと、数学で「なぜその公式が成立しているのか」を知りたがったりするらしい。
私は完全に、100%、まごうことなき同時処理型だ。思い返せば、なぜそうなっているのか理解できない公式があると、その公式を使うこと自体に苦痛を感じる学生だった。
どうプレイすべきなのか(そもそも何が面白いのかすら)分からないまま1年近くやってきたけど、数週間前、突然視界がひらけたかのように分かるようになり、新しいゲームのコツをつかむのも劇的に早くなった。
人ってこうやって物を学ぶんだ、という発見があった。↓
実はこの処理型の分類を知ることになる前日、パートナーと軽い口喧嘩になっていた。
少し前に我が家に彼の友人が遊びに来たのだが、その友人に対する彼のゲームルールの説明がすごく遠回りで、全体像が見えず、とにかく細かい情報の羅列だったので、私は「ちゃんと理解されているだろうか…」と不安だったのだけれど、その友人は10分くらい説明を聞いた後に「わかった、やってみる」と言い、なんとびっくり、ある程度普通にプレイできたのだ。
私は彼の説明による指導はとても理解するのに苦しんだし、何度もプレイ方法を間違えたり、ルールを忘れた。彼が辛抱強く併走してくれたおかげで今はなんとか全部把握できているゲームがいくつかあるが、ここまで来るのにはとても時間がかかった。
なので、彼の友人があんなにスムーズに理解できたことがとても不思議だった。私がボードゲームに慣れていないからだろうか? とも考えたが、いろんなボードゲームの説明書を読んでみると、それらもほぼ全て、彼のような細かい情報を積み重ねていく書き方をしていた。
例えば私は、説明書の冒頭に「勝利の条件」を書いてほしい。「最後にコインを最も多く持っていた人が勝ち」とかである。その上で、次に「コインを獲得する方法は〇こあります」と書いて、その上で、その1つ1つについての説明に移ってほしい。
でも、ほぼ全ての説明書が、そうはなっていない。「ほぼ」って言ったけど、私が見たやつは全部、「あなたはワーカーを派遣して資材を得ることができます」みたいな情報から始まっていた。私は「ワーカー」を知らないし、「派遣する」というのがどういうことか知らないし、「資材」というものをなぜ私が「得たい」のか、つまりその「資材」とやらの使い途、得る目的など、何も分かっていない状態でそれを読まなければならないのだ。そしてそれは私にとって、ものすごく苦痛だった。
あるいは「〇〇の属性のカードをプレイすることで、場に出していない手札を3枚まで捨て札にするか、1枚まで除外することができます」みたいなことが平気で書いてある。属性まではいい。何かこう、水属性とか火属性とかみたいに、カードごとのカテゴリーみたいなのがあるのでしょう。でもね、「プレイする」って何だろうと。「場」ってのはどこだよと。「出していない手札」って言われてもさ、ってことはその時点で私が「出してる手札」ってのもあるってことだろうけど、「出す」って意味もわからないし、なんで「出し」たいのか、つまり「出す」ことでどんなメリットがあるのかも知らない。そして「捨て札にする」と「除外する」の違いもわからないし、なんで自分の手札を手放したいと思うのかもさっぱり分からない。
「脳に回路を構築する際、知らない情報があると回路が流れない。回路のパーツが全部ハマると急に回路が流れ出す」
まさにこの状態である。他の人はなんでこんな情報の順番でルールが理解できるのか、正直想像すらできない。頭の中で保留しておく情報が多すぎて、頭がパンクしないのだろうか。
しかしこの時点で私はまだ、処理型に分類があるなんてことを知らなかった。みんな本当は同時処理的な理解の方が得意だろうと思っていたし、だから少しずつ情報を小出しにしていく説明はできるだけ避けて、最初に全体の説明をする方が良いと思っていた。
なので、ある日私はパートナーにその話をした。彼の友人が説明を聞いてすぐにプレイできたことに驚いたということに加えて、数ある説明書がみんな彼がした説明のような順番で書かれていることや、それに私が不満を感じていることなどを話した。彼は自分の説明の仕方を否定されたと感じて、怒った。私は焦って「いや、あの、個人の説明の仕方を評価したいんじゃなくて、全部のルールを完全に把握しているはずのゲーム製作者たちもみんなそういうふうに説明書を書いてることが不思議だし、不満なんだ」と言ってごまかした。
翌日、通勤途中にスマホで調べ物をしていてたまたま「同時処理」と「継次処理」の情報に行き当たった。ゲームの説明書の書き方は、すべて継次処理型に分類されるものだった。一方ADHDの人には同時処理型が多く、しかも同時処理型が強い人は30%しかいないらしい。私はすぐに彼にリンクを送り、謝った。「昨日のあれは、私が同時処理型だからだったんだね。70%の人向けに説明書が書かれてるのは当然だし、あなたの説明の仕方は多くの人にとっては分かりやすいんだね。あなたの説明が良くないみたいなことを言ってしまってごめんね」と。
以上全てを踏まえた上で、今後のこと
ここまで書いて、今午前3:21である。書き始めたのが0時過ぎなので、これぞ過集中って感じだ。
後述する通り私は今週から朝早く起きてウォーキングをすることにしたので、ここで一度筆を止めて寝ることにする。明日また続きを書くね。ひとまずおやすみ。
みんなおはよう。もしかしたら起きられないかと思ったけど、しっかり起きてウォーキングやってきたよ。快晴だったので、良い汗をかきながらいくつか公園や神社を巡ってのんびり歩いてきた。とても良い気分だ。このテンションのまま、今後についてのポジティブな話を書こうと思う。
上で書いたような経緯で、私は以下のことを心がけることに決めた。
(1) まず、自分の特性による良さを忘れないこと。
ADHDだろうが何だろうが、そんなことに自尊心や自己肯定感を削がれたくはないからね。ちなみに自分の良さだと認識しているのは、次のようなことだ。
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集中することで短時間に大きな成果をあげられる
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文章や図による理解が早い
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全体の方向性を決めたり全体像を把握することに長けている
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情報収集に長けている
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「今」が大事なので、先のことを考えて不安になったり、過去を引きずることがあまりない
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好きなことに熱中できる
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自分の記憶力を信用していないので、大事なことはだいたい文章や映像、音声で記録してある
これらの良さには自信を持っておこう。そしてその上で、自分なりの超簡単ないくつかのルールを設定することで、より日々の生活を楽ちんなものにしたり、より周囲にとって良い人間になれるのではないかと目論んでいる。具体的には、
(2) パートナーとの時間は、過集中を抑制させてくれる素晴らしい時間だと捉える。
何か気になって調べていることがあると、パートナーとのお出かけの時間が迫ってきたり、彼にボードゲームに誘われたりした時に、つい頭の中で「もっと調べたいのにな」と思ってしまう。これまではそれを「我慢」していたが、今は「ラッキー、誘ってくれてありがとう」とか「お出かけがあるから過集中しないで済んだ」と思うようにしている。
(3) 毎朝同じ時間に起きて、ウォーキングをする。
これはパートナーの提案したアイディアで、聞いてすぐに「それはなんて素晴らしいシステムだろう」って思った。彼はどちらかというと健康向上とか体型変化を期待していたみたいだが、私は自分の特性による小さな困りごとを減らす画期的なアイディアだと気づいて、飛びついた。このルールによるメリットはこんなところだろう。
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忘れた予定にも間に合う。——朝早く起きると、その日のスケジュールは「起きてから確認すればいい」ものになる。それでも全部間に合う。起きたらギリギリだったとか、起きた時点でそもそも遅刻だったとか、そういう事態が発生しない。
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前日が楽。——夜に考えなければいけないのは、朝早く起きるためにある程度早く寝ることだけである。私の過集中や忘れの大きな原因は「他の人よりも注意が散漫で、色々覚えていようとすると情報がパンクしてしまうから、今まさに重要なこと以外は忘れたり頭からブロックしている」ということなのではないかと思う。なので、システムとして「翌日のことを考えなくていい」となるのは、本当に気が楽だ。
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夜中の過集中が抑制される。——翌朝早く起きるために、ある程度の時間で切り上げるようになる。
(4) 気になったことがあれば、「調べる」という予定をカレンダーに入れる。
少し調べて「これは気になるぞ」と思うとそのままぶっ続けで調べ続けてしまい、派生して関連することもどんどん調べていって終わりがなくなってしまうので、多少調べたらメモやブラウザのタブに残しておいて、カレンダーに「〇〇について調べる」という予定を入れる。調べるのが好きなのは仕方ないので、念のため3時間とか5時間の長めの枠を用意しておく。
(5) 継次処理型の人を尊重し、理解しやすい話し方を心がける
同時処理的な理解の方がみんな楽だと思っていたので、これまでは仕事でもプライベートでも何か複雑なことを説明するときは長文を書いていた。構造がわかりやすいように見出しをつけたり、目次みたいなのを冒頭につけたりすることもあった。段落分けにしっかりと意味を持たせ、最初に全体の目的や結論を書いて、その後に詳細、最後にまた結論、という具合だ。
しかし、それでは理解しづらい人——むしろ細かいところから少しずつ順番に解説する継次処理型の説明の方が楽だ、という人——がいる、というかむしろ多い、ということを今回知った。
以前ろうの若者がYouTubeで「聴者についてどう思うか」という質問に答えていた。彼女の回答は、このような感じだった。家族もろうだったからか、聴者の人たちを変な人たち、理解できない人たちだと思っていた、と。また、成長して聴者との関係が生まれ、その時初めて「聴者も私たちと同じ人間なんだ」と思ったという。
今の私は、それに近い感覚である。継次処理型の人たちもいるんだ……だとするとこれまでの私の情報の伝え方では「マサキの書く文章は読みづらい」とか「マサキに聞くとブワーって返ってくるから大変」とか思わせていた可能性があるな、と気づいた。
相手によっては、情報は最低限でいいし、伝えるべき情報が多くても、小出しにしたっていい。全部をいっぺんに理解してもらう必要はないんだ……私はADHDというマイノリティ側にいるんだろうけれど、マジョリティである継次処理型の人への「配慮」が必要なんだな、と感じるようになった。
(6) 少なく話す、ゆっくり話す、ゆっくり動く
継次処理型の人への「配慮」という意味のほかに、ゆっくり少なく話すというのは「早口になってしまう」「話が長い」という私の特性を抑制する効果もあるなと思っている。
さらに、ゆっくり動くことで、物や人にぶつかるリスクも軽減できるんじゃないかと思っている。ちなみに、一緒に暮らして1年強、私はすでに何度もパートナーにぶつかったり、パートナーを踏んだりして、痛い思いをさせてしまっている。
(7) 予定は「1つだけ」覚えておく
これまで通り全ての予定とタスクをカレンダーアプリに入れるけれど、その中で1つだけ選んで「これは頭でも覚えておくぞ」と決めるようにする。特にパートナーや実家の家族との予定など、忘れていたら悲しませてしまう相手がいるような予定は。
覚えておくのは最も直近の予定1つだけと決めることで自分の負担を減らしつつ、「何もかも忘れる」という自分の習慣に変化をもたらせたいのだ。
さらに、ADHDは「今自分が楽しいと思ってること」や「新しいこと」には強い関心を持てるという特性があるそうなので、モチベーションを上げるために、その「1つだけ覚えておく予定」の中身に何か楽しそうなことを組み込んでおく、というのも試してみたい。
例えば私は本業(労務管理)の仕事が好きで、特に業務改善のシステム作りとかが好きなんだけれど、そればっかりやっていると日々のルーティーンワークに支障が出る。しかも週4テレワークなので、時々夜中までぶっ続けでやってしまうこともある。だから、「これ楽しい〜」って思ったら、次に出社した時にやると決めて、その日は手を止めてみる。そうすると続きが楽しみだから、その予定を覚えている可能性が高まると思う。
自分の特性とうまく共生したい
せっかくこれだけ色々調べてADHDについて理解できたのだから、できないことを諦めるのではなく、ほんの少しだけ生きやすいように工夫したり、ほんの少しだけ周りへの迷惑を軽減するために努力してみようと思う。
はなゆいさんの本のタイトルに「グレー」とある通り、ADHDはグラデーションだ。日常生活に大きな支障がある人もいれば、工夫することで問題を最小限に抑えている人もいるし、ADHDと診断されない定型発達の人でも性格によっては一部ADHDの特性に似た特性を持つ人もいる。
同時処理型と継次処理型というのもグラデーションだ。ほとんどの人にはどちらの能力もある程度備わっているらしいから、私だってきっと継次処理的な理解が全くできないわけではないだろう。もしかしたら、工夫次第で少しは微調整できるものかもしれない。
もちろんこれは、自分の特性を変えようとしているのではない。そんなのは無理な話で、私が継次処理的な理解を得意とするような未来は存在しないだろうし、突然カクテルパーティー効果が発動するようになることもないだろう。なので、私ができることは、自分の特性を理解した上で、その特性を持っていてもスムーズに生きられるように頑張ること、しかない。
というわけで、長々と書いたが、これは自分の宣言みたいなものでもあるし、備忘録でもある。もっと言えば似たような人の参考になれば嬉しいとも思っているし、「私も似てるよ!」って人からコメント付いたり連絡が来たら嬉しいなと思っている。全然自分は当てはまらないや、という人には、ADHDへの理解を深める一助になっていたらと思う。
いずれにせよ、しばらく頑張ってみるので、みなさん応援よろしくね。
ではでは、みんな、明日も生きようね。
マサキ
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